四季映姫ヤマザナドゥは、時計を見た。これで何度目だろうか。
「……遅い」
呟くのも何度目かわからない。時刻は仕事を始めてから、既に数時間が経っていた。
映姫は苛つきながら、積まれた書類に目を通していた。
映姫の苛立っている原因。それは、彼女の部下の小野塚小町がいまだに出勤してこないことにあった。
普段は多少の遅刻をして現れては説教を受け、稀に一日中寝たままで無断欠勤をしては説教を受ける小町。
今日も後者かと思いながら、映姫は仕事をこなす。いくら部下がいなくても、自分の仕事は毎日のようにある。むしろいない方がやることが増えて、大変に忙しい。
「小町ぃぃぃぃ……覚えてなさい」
恨みを込めて呟いても、仕事がなくなるわけではなかった。
「……確か、ここね」
あれから仕事を必死にこなし、どうにか今日の分の仕事には一区切りをつけることができた。裁判に至っては即刻判決をくだし、有無を言わせぬ迫力でもって納得させて済ました。
映姫は今、仕事の合間をぬう形で小町の家へやってきていた。
もちろん、説教と折檻を兼ねて仕事の恨みを晴らすことが目的である。
コンコンと戸をノックする。しかし、寝ているであろう小町がこれで起きるはずもない。
「……お邪魔します」
映姫は声をかけ、家の中へと入った。
玄関の間を抜け、小町の部屋へ。そこには、
「あ……四季様?」
布団に潜っている小町の姿があった。起きていたようだ。まぁ、これは映姫の予想の範疇ではあったが、映姫は改めてその姿を見ることで怒りの沸点が高まっていくのを感じた。
「……小町? まだ寝てるとはいい根性ですねぇ」
笑顔を貼り付けた映姫がゆらりと小町の元へ近づく。
「や、これには訳が……」
映姫が近づいてもなお、小町は顔を向けるだけで布団から出ようとはしなかった。
「んふふふふ……さぁて、どうしてくれようかしら?」
沸点がピークに達しかけ、映姫の額に青筋が浮き上がる。だが、小町は熱っぽい瞳で映姫を見つめるだけだった。
「小町、あなたという人は……小町?」
近づいてわかったが、小町は呼吸が荒く、顔から胸の辺りにかけ、ほんのりと赤みがさしている。額には汗をかき、視線はうるんでいた。
「……この期に及んで誘ってるのですか?」
見当違いの言葉を吐いて、映姫はなおも小町を見つめる。しかし、さすがにおかしいと思い、よくよく観察してみると、ようやく部下の異常を感じ取った。
「……っ! 熱があるじゃない!」
手を伸ばして額に触れると、異常な熱を感じた。
映姫の小さく、ひんやりとした手が気持ちいいのか、小町は目をつむってその手の温度を感じていた。
小町の顔を見つめると、いつもの人懐っこい笑顔(そのときは少しばかり弱々しく見えた)を浮かべ、
「風邪、ひいちゃいました」
と述べた。
「まったく、あなたという人は……」
水を張った桶に布を浸して軽く絞る。それを映姫は小町の額に乗せた。
「はは、すいません」
小町は笑顔のまま、映姫に礼を述べた。
軽く見積もったところ、確かに小町の体調は悪かった。咳はないものの、体中が火照っているように熱を持ち、喉の奥は赤く腫れていた。
映姫はやれやれと呟くと、部下の為に綺麗な布で体の露出している部分を拭ってやり、濡らした布を額に乗せてやった。
「どうしてこうなったんですか?」
「……多分、昨日の夜、川に落ちたせいですかね」
「は?」
小町の話では、仕事終わりに馴染みの夜雀の屋台で仕事の疲れを癒していたのだが、その日は酔いがまわるのが早く、気持ちよく飲んでいたらしい。帰る際、ふらふらした足取りで店主に心配された通り、足を滑らせて川に落ちてしまったとのこと。
「……はぁ」
あまりの馬鹿らしさに呆れるしかなかった。
「何をやっているのですか、あなたは」
「あたいもそう思います」
言い合って、お互いに笑いあう。
そこで映姫はふと、
「小町、お腹すきませんか? 何か作ってあげますよ」
と提案した。
「え? 四季様があたいにですか? そ、そんな滅相もない」
なぜか小町は慌てて制そうとした。映姫は考えて、なんとなく察した。
「……こう見えても料理は得意なんですよ? ちょっと、待っていてください。おかゆを作ってきます」
なんとなく癪にさわった映姫は、一方的に告げると台所へと向かった。
「……結構綺麗にしてるんですね」
台所はそれなりに整理されていた。部屋の中もそうだったが、ずぼらな性格だと思っていた予想を裏切られた。案外、中身はしっかりしているのかもしれない。
……仕事に対してもそうであってほしいものだが。
映姫はひとまずおかゆ作りを始めることにした。適当な鍋を見つけ、釜からご飯を盛り、多めの水をいれて火を炊く。
その間に適当な材料を選び、慣れた手つきで刻んでいく。だいぶ煮込めた頃に材料を加え、塩を一つまみいれて完成だ。
「どうぞ」
小町の元へ持っていくと、小町はしげしげとおかゆと映姫を見比べた。
「……四季様、家庭的なんですね」
「いいから食べなさい。ほら」
れんげで掬って小町に差し出す。小町はなぜか「いや、あの……」と口ごもった。
「? いいから、ほら。味は保証しますよ」
さすがの小町も、これには仕方なく口を開けて応えるしかなかった。
もぐもぐと咀嚼する小町を、映姫はじっと見つめた。
「……おいしい」
その呟きに、映姫はほっと胸をなで下ろした。実はおかゆ作りは初めてだったのだが、上手くいったようだ。
「ね? さ、もっと食べなさい」
「い、いえいえ、もう“あーん”は結構です。自分で食べれます」
小町は映姫から鍋ごとひったくると、「いただきます」と改めて手を合わせ、食べ始めた。
一方の映姫は、小町の言葉に今更気づいたように顔を赤く染めていた。
(“あーん”ってそんな……)
お互いになんとなく気まずくなってしまう。小町は無言でおかゆを食べ、映姫もまた黙って部屋の中を見渡して過ごす。
「ごちそうさまでした」
小町が手を合わせ、呟いた言葉に、気を引き戻される。
「お粗末様でした」
小町から鍋を受け取る。綺麗にたいらげられた鍋を見て、映姫はなんとなく嬉しかった。
「……あとは静かに寝ているんですよ。とにかく、早く治してもらわないと私が困ります」
そう言いながら、鍋を片づける。
「はい」
小町は、言われたとおり布団に潜り直した。
映姫は小町の元へ戻ると、すっかりぬるくなってしまった布を水に浸し、再び小町の額にのせてやる。
「……四季様」
「なんですか?」
「……今日は……すいません、でした」
映姫は小町の言葉に驚いてしまった。小町が素直に謝るなんて。体調が悪いと素直になるというのは本当なのかと思った。
「別に、構いませんよ。こんな状態で仕事をやられても困りますし、体調を崩すのは誰にだってあります。まぁ、今後は今回のことを機に反省して……ってダメね。そうじゃなくて……小町?」
説教くさくなってしまったと思い、小町の反応を窺うと、小町はすやすやと寝入っていた。
「…………」
どうやら、さきほどの言葉は寝言だったようだ。映姫は一人恥ずかしくなった。
しかし、夢の中でまで自分に謝っているのか、と思うと、なんとなくおかしかった。
小町の前髪をよけてあげながら、映姫はしばらくの間小町の寝顔を見つめていた。
「……ま、……き様、四季様」
揺り動かされる振動と、名前を呼ぶ声で映姫は目を覚ました。
「ん……あれ?」
体を起こす。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようだ。
「おはようございます」
目の前には小町の笑顔。ち、近い。
「お、おはよう……大丈夫?」
小町の容態を確認すると、
「熱は……ないみたいね」
額に触れると、熱は感じられなかった。
「はい。お陰様で」
小町は元気よく答えた。
「それにしても驚きましたよ。起きたら四季様が寝てるんですもん」
「そ、それは……」
失態だった。帰るつもりだったのに、いつの間にか眠っていたなんて。
「ところで、今何時――なっ!」
時計をみやると、既に出勤時間を過ぎていた。映姫は焦った。
「この私が遅刻だなんて……とりあえず、早く行かないと。小町、あなたも支度をしなさい」
身支度を整えていると、小町が服の裾をつかんだ。
「ちょっと、」
「四季様、そんな慌てないでのんびりいきましょうよ」
「何言ってるんですか。そんなこと私が許しません」
「もう遅刻確定なんですよ?」
「うぐ……でも、だからといってこれ以上遅刻していい理由にはなりません」
「あたい、病み上がりなんですけど」
「…………」
見つめあうこと数秒。映姫は諦めてため息をつくと、仕方なくその場に留まった。
「まったく……今回だけですからね」
「はいはい」
「でも、できるだけ急いでくださいね」
「わかってます……って結局行くんですか!?」
言葉通り、遅い朝食を共にして、その日はいつもより大幅に遅れて出勤した。
仕事に追われるはめになったが、でも、なんとなく気持ちが軽かったのは、少なからず息抜きになったからなのだろうか。
それとも……。
でも、もう二度と遅刻はするまいと、映姫はしっかりと心に誓うのだった。
あとがき的なもの
この作品は知り合いの方の誕生日用に考えた作品だったりします。これを書いた当時自分が体調が悪かったので、映姫様に看病してもらえたらなぁと考えて、小町が体調を崩したらどんな感じなのかなーと考えつつ書きあげました。映姫様は仕事ばりばりだけど家庭的な面もあって自炊とかしっかりとする人だと思います。というか捧げた知り合いさん曰く料理は趣味だそうで、他に音楽が趣味でジャンルはまんべんなく聴いて自分用のプレーヤーとか持ち歩いてるとかいう話でした(あくまで妄想です)。意外な映姫様の一面を見たというか考えさせられました