チルノの子育て(?)奮闘記

「ほらほら、早く逃げないと氷づけにしちゃうよ」

 霧のかかる湖の一角。チルノは今日もまた、カエル相手に悪戯をしていた。凍らしては戻すを繰り返し、進行方向を邪魔するなどして、じわじわと陸の方へと追いつめていく。

「もう後がないわよ。さぁ、どうする?」

 意地悪な笑みを浮かべながら、脅しをかける。それに屈したのか、しばらくの間じっと動かなかったカエル達は、観念したように陸へと上がり、森の中へと姿を消していった。
「ふふん。やっぱり、あたいったら最凶ね」
カエル相手に強がるのはどうかと思うが、チルノは満足したようにその場を引き返した。その途中、
「ん? 何、アレ」
 先程のカエル達が元居た場所辺りに、不思議な物体を発見した。
 透明な膜のようなもので覆われ、黒くて丸い粒状のものがいくつも重なっているそれは、はた目から見ても気味が悪い物体であった。
「うわ、何これ……ぶよぶよしてて気持ち悪い」
 好奇心から手にとってみたチルノだったが、その感触の悪さに顔をしかめる。
 それはカエルの卵だった。しかし、チルノがそれを知るわけがない。
「気になるわね、これ。とりあえず……」
 チルノは、卵をすべて水中から取り出すと氷づけにし、その氷の塊を持ってある場所へと向かった。
「あんまり気乗りしないけど、あそこに行けば何かわかるかも。あたいったら冴えてるー」
 霧の中を、チルノは湖の畔目指して飛翔していった。
 ――目指す先は、紅魔館。
 
「はぁ、今日もいい天気ですねー」
 所変わって紅魔館の門前。ここで門番として務める紅美鈴は、門柱の上で伸びをしながら呟いた。
 普段は、門を突破しようとする者(大半が泥棒しにくる霧雨魔理沙)と戦うものの、皆実力が美鈴より格段に上で、いつもフルボッコにされ門を突破されては、メイド長である十六夜咲夜にナイフの的にされる、という日常を送っている。
 しかし、ここ数日はこの門に訪れる者もなく、平和ではあるが退屈な日々を過ごしていた。
「うーん、こう暇だと眠くなってきますねぇ。ふわぁぁ……」
 仕事中の身でありながらありえない言葉を呟き、更にはあくびまで平然とやってのける美鈴。実際、辺りに特に人影はない。少し離れた上空に真っ黒な球体が存在するが、あれは無害なので論外。
それらを確認すると、美鈴は門柱から降り、すぐ近くの木陰へと歩み寄った。そして木に寄りかかるようにして座り込む。
「ふう……」
 目をつむってしばらくすると、美鈴は早くもコックリコックリと船をこぎ始めた。
 やがてその動きが止まると、穏やかな寝息が聞こえてきた。
 シエスタである。邪魔してはならない。
 しかし、そんな雰囲気を壊すかのように、こちらに飛来してくる影があった。
 チルノ(KY)である。期待してはならない。
 門前に降り立ち、キョロキョロと辺りを見回す。その手には先程の氷を持っていた。
「? あの門番、どこ行ったのかしら?」
 美鈴の姿を捜す為に歩き出す。程なくして、木の幹に寄りかかって眠っている姿を発見した。
「あたいがわざわざやって来てるっていうのにこの門番は……。少し懲らしめてあげなきゃ」
 突如、チルノの周囲に氷の塊が幾つも出現する。そのどれもが細長く、先端が鋭くとがっているものばかりだった。
「いっけー!」
 チルノの声を合図に、氷の群れが美鈴めがけて飛んでいく。そのほとんどが木の幹や草むらに突っ込んでいったが、何本かは美鈴にヒットした。
「ひゃあ! さ、咲夜さん違います私サボってなんていませ…………あれ? チルノ、さん?」
 我に返った美鈴は、目の前に立っているチルノに気が付いた。
「あたいとあんな乱暴メイドを間違えるなんて、いい度胸ね」
「いや、そういうわけではなく、つい、条件反射で」
「? よく分からないけど、まぁいいわ。ところでこれ見て。何だかわかる?」
「すごく……不気味です……。なんですか? これ」
チルノが取り出したものは、カエルの卵の入った氷の塊である。美鈴もそれが何なのかわからないので、質問に質問で返してしまった。
「こっちが聞いてるんだけど」
「あ、すいません。ちょっと私にはわかりませんね……どうしたんですか? これ」
「湖にあったから、拾ってきたの」
 期待はずれの返事に、投げやりに返すチルノ。それを感じ取った美鈴は、慌てて言葉を加えた。
「あ、でもでも、パチュリー様ならきっとわかると思いますよ?」
「ほんとに?」
 チルノの目が輝く。

「ええ。……たぶん

「じゃあ、早速聞いてくるわ。だからここ通して」
「駄目です」
 門を通過しようとしたチルノに前に、ずいと立ち塞がる美鈴。その表情は、先程までの暢気なものから、門を守る者としての真剣なものに変わっていた。
「なんでよ、あんたが言ったんでしょ? いいからここ、通しなさいよ」
「それはできません。勝手に通したら怒られちゃいますから。ですから、どうしても通りたかったら――」
 呟きつつ、仁王立ちから戦闘の構えに入り、叫ぶ。
「私を倒してからにしてください!」
(決まった……!)
 内心でガッツポーズする美鈴。
「さっきまで寝てたくせに何言ってんのよ、あんた。寝言は起きて言うものじゃないわよ」
「……」
呆れながら言うチルノ。決め台詞を軽く流されてしまい、更にはまともなことを突っ込まれて少し傷ついた美鈴であった。
「……まぁいいわ。力づくっていうのは嫌いじゃないしね。早速いくわよ! 氷符、アイシクル……」
「ダブル○リザァァァァド!」
 チルノよりも先に美鈴が動く。声と共に、突如、美鈴の豊満な胸元から猛烈な吹雪が吹き荒れ、チルノに襲い掛かる。
「え、ちょwww」
 吹雪はチルノを捉え、身動きを封じる。その隙に美鈴はすばやく懐に潜りこみ――
「烈風、○拳づきぃぃぃ!」
渾身の拳を繰り出す。ドーンという凄まじい音と共に、チルノはもの凄い勢いで吹っ飛んでいった。
「新しい習得技の試しをしたかっただけなのですが……これは予想以上の威力ですね。ありがとう、ダイ○ス」
 飛んでいくチルノに驚きながら、美鈴は満足そうに頷くのだった。
 
 射命丸文はその時、たまたま紅魔館近くを飛んでいた。
「うーん、何かいいネタはないものでしょうか。ねぇ、文々丸」
相棒である文々丸が、同意するように鳴く。
文たちは、今日も今日とて新聞のネタ探しの最中であった。
「それにしても……やっぱり空は気持ちがいいですねぇ。まぁそれも、自由自在に飛べる私の翼とスピードがあればこそですけどね」
 嬉々として呟く文。
「まあ、私より速い人なんて幻想郷には――」
 ビュン!
 文のすぐ脇を、とてつもないスピードを誇る物体が通過していった。突然のことに驚いた文は、思わずその場で急停止し、物体を眺めることしかできなかった。
「今のは……チルノ、さん?」
 文の言う通り、それは美鈴の必殺技で吹き飛ばされたチルノだった。しかし、文はそんなことは当然知らない。ただ一つ解ることは、自分よりも限りなく速いスピードで飛行(?)していたことくらいだ。
「……あ、ありのまま今起こった事をお話しします。『私が幻想郷一のスピードは私のものだと語ったらおバカな妖精がそのスピードを軽々と抜き去っていった』な、何を言っているのかわからないと思いますが、私も何がなんだかわかりません。少し凹みました……。あややややだとか新作に出られてまさに天狗になっているだとか、そんなチャチなものでは断じてありません。もっと恐ろしいものの片鱗を味わいました……」
 一人打ちひしがれる文であった。
 
「……たたたた。もう、あの門番ったら加減ってものを知らないのかしら」
 チルノは藪の中で呟いた。美鈴の正拳突きで音速を体験し、ようやく落ち着いた所である。
「えーっと……あ、あった。傷は……ないみたいね。さすがあたいの氷だわ」
 傍にあった氷の状態を見て満足そうに微笑む。
「それにしても、ここは? あれは、人間の里?」
 藪の奥の方に、小さく建物群が見えることから、チルノはそう判断した。
「あれが里ってことは……! そうよ、あそこにはあの、えっと……ハクダク? 確かそんな名前の、半獣の教師がいたはず。さすがあたい。吹き飛ばされてもただより安いものはないわね」
意味不明なことを呟きながら、チルノは里の方へと向かって飛び立った。
 
人里にある寺子屋。ここは上白沢慧音が子ども達に勉強を教えている場所である。慧音は、人柄は優しいが、真面目で堅い雰囲気が災いしてか、子ども達とは微妙な距離感があった。宿題を忘れた時などに行う頭突きも、拍車をかけている。
「――で、ここにこの数をかけてだな……」
 現在は授業中で、慧音は黒板に数式を書きながら説明をほどこしていた。
「――その結果として、こうなるわけだ。次は……む、もうこんな時間か。よし、今日はここまで。残りの問題は明日までの宿題だ。しっかりやってくるんだぞ」
 終わりの号令と共に、静かだった教室が騒がしくなる。
「せんせー、さよーならー」
「ああ。ちゃんと宿題やってくるんだぞ」
 はーいという声を残し、子ども達ははしゃぎながら次々に教室を出ていく。
「……ふぅ」
 誰もいなくなった教室で、慧音は一人ため息をつく。先程までのにぎやかさはないが、その余韻の残る今の教室の雰囲気が、慧音は嫌いではなかった。
「さて、私も……ん? やけに外が騒がしいな」
 帰り支度をしようとした時、外から子ども達の騒ぐ声が聞こえてきた。
『わー、妖精だー』
『ちょっと、何よあんた達。あ、ちょ』
 普段はあまり聞かない、けれど聞き覚えのある声もする。不思議に思いながら寺子屋を出る。そこには、
「あんた達、いい加減にしなさいよね。あたいを怒らせると怖いんだから」
 子ども達の中心にチルノがいた。その手には、なにやら氷の塊を持っている。
経緯は知らないが、普段里にはめったに姿を見せないチルノがここにいること、そして何やら氷の塊を持って子ども達に向かい合っていることから、今の状況を危険と判断した慧音は、ズンズンとチルノに近づいていった。
「あー、せんせー」
 一人の子どもが慧音に気付き声をあげる。次いで、他の子ども達の視線が一斉に慧音へと注がれる。
 子ども達に倣い、チルノも振り向く。と、目の前には自分を見下ろしつつ、何故か上体を反らして立つ慧音の姿があった。
「あ、ちょうどよかったわ。あんたに用が……」
 ゴッ!
 鈍い音と共にチルノが倒れる。その額からは、プシューという音と共に煙が立ち上っていた。
 言わずもがな、慧音の十八番である頭突きが炸裂したのだ。子ども達は、ただただその様子を震えながら眺めることしかできなかった。
 
「ほんっとにすまん! この通りだ!」
教室に戻った慧音は、深々と頭を下げた。もちろん、チルノにである。当のチルノはというと、仏頂面でそっぽを向いていた。その目はまだ少し涙ぐんでいて、額も赤く腫れていた。
「あんたねぇ、アタマがカタすぎるのよ。もう、あたいがバカになったらどうしてくれるのよ、まったく」
 不機嫌ながらも、無駄な心配をするチルノ。
「そ、そうか、そうだな。改めてすまない。……ところで、私に用があると言っていたが、何の用だ?」
「ん、これなんだけど、あんたならわかるんじゃないかと思って」
 卵入りの氷を差し出す。
「これは……見たところ何かの卵だな。何のものだったかは忘れてしまったが水辺の生物だったかな……どうしたんだ?」
「えーと、どこだったかしら。……頭が痛くて思い出せないわ」
 言いつつ額を押さえるチルノ。ここに至るまでに美鈴の正拳突き、慧音の頭突きとかなりのダメージを負っている為か、今日の記憶が曖昧なものになっていた。
「うーん。卵、水辺…………なんだか嫌な予感がするけど、まぁ、気のせいよね」
 独りごちて納得するチルノ。そして「卵かぁ」と呟くと、何かを閃いたのか、とんでもないことを慧音に告げた。
「じゃあ、あんたこれ、育ててくれない? 何が生まれてくるか気になるし」
「……は? なんで私が」
「だって、あたいは卵の正体も育て方も知らないし。それに……」
 わざとらしく額を押さえるチルノ。
「いたたたた、頭が」
「くっ……わかった、引き受けよう」
頭突きの件を出されては仕方がない、と慧音は渋々引き受けることとなった。
「じゃあ、頼んだわよ。あ、様子はちゃんと見に来るわ。サボってたりしたら承知しないわよ」
 そう言って、チルノはさっさと帰っていった。一人残された慧音はため息をつくと、仕方なくチルノの言うとおりにすることにした。とりあえず手始めとして、卵について調べることにした。
しかし、その結果はおおいに慧音を悩ませるものだった。
「これは……どうしたものか」
 卵の正体がカエルであると、慧音はようやく気が付いた。カエルはチルノの天敵である。その事実を当然チルノは知らない。その事実を知らせるべきか隠しておくべきか……。
「どうやらお困りのようですね」
「……お前は」
 慧音が振り向くと、入り口に文が立っていた。文は微笑みながら、慧音の元へと寄っていく。
「一部始終を拝見させて頂きました。それで唐突なんですが、私にいい考えがあります」
 不敵な笑みを浮かべる文に、慧音はただ首を傾げるだけだった。
 
 翌日。チルノは昨日と同じ頃に、寺子屋へと訪れた。既に子ども達の姿はなく、教室には慧音一人だった。
「ん? なんだ、ようやく来たか。まぁ入れ」
慧音はチルノに気付くと、教室の中へと促した。当のチルノは、教室に入るなりキョロキョロと辺りを見回す。
「どうした?」
「卵は?」
「早速か……。まぁいい、ついて来い」
 催促に苦笑しつつ、慧音は別教室へとチルノを案内した。そこは、主に教材や文献が置いてある、普段は倉庫代わりに使用されている教室だった。その教室の中央には机があり、その上に卵の入った小さな水槽があった。中には卵だけでなく、雰囲気作りの為に水草や石が敷きつめられていた。
「わー、すごーい。でも、なんでこんな場所に?」
「本当は教室に置きたかったのだが、子ども達に弄られてしまってはいけないからな。それに、お前に文句を言われるかもしれないとも思ってな」
「ふーん。ところで、これってどの位で生まれるの? っていうか、結局なんの卵だったわけ?」
「あー、それが、その、文献の資料が少なくてな。生まれるまで何のものだかはわからないんだ。まぁ、こういった卵はだいたい一週間以内には孵化するものだ。気長に待つしかない」
 チルノの質問に、何故か慧音はしどろもどろになりながら答えていく。カエルの卵だということを知らせないようにする為だろうか。
(ばれた時はばれた時でやるしかあるまい。まったく、あいつの話にのってしまったばっかりに。嫌な役回りを引き受けてしまったものだ)
 ここには姿のない人物に愚痴をこぼしつつ、慧音は心の中でため息をついた。
「一週間……長いわね。ま、仕方ないか」
 そう言って少し肩を落とすチルノであったが、その目は水槽に釘付けで、表情もどことなく期待に満ちていた。
 それから、驚きの日々が始まった。
 寺子屋を訪れては帰るまでじっと水槽を眺める。しかし、三日程続けて通うも、卵に変化は無かった。そうかと思って一日空けて行ってみると、水槽には黒くて小さい、不思議な生き物がうごめいていた。
「な、何これ。いつの間に。……ちょっと、かわいいかも」
「それはオタマジャクシという生き物だ。昨日、お前が来なかった間に次々と孵化したんだ」
「どうせなら、あたいがいる時にしなさいよ。まったく」
 チルノは悔しがった。その悔しさから、以後は根気強く、毎日訪れることにした。
 そんなチルノの努力もあってか、オタマジャクシ達はとても元気で生命力に溢れていた。慧音に教わりながらチルノが青菜などのエサを与えると、一斉に集まってきて一生懸命食べる。更には軽く悪戯をすると、大慌てで逃げ惑うので面白い(慧音に見つかると頭突きをされたが)。
 そんな楽しい日々に、チルノは今まで感じたことのない、温かな気持ちを抱いていた。それはチルノが抱く初めての『母性』だったが、チルノにはわからなかった。
そんなある日、オタマジャクシ達にコブのようなものができてきた。慧音曰く、「足」である。やがて、慧音の言ったとおりそれらはオタマジャクシ達の後ろ足となった。
「……うわぁ」
 それがチルノの正直な感想であった。同時に、今のオタマジャクシの姿は何かに似ている、という胸騒ぎが起き始めた。あの足の形なんかはどこかで見たような……。
 その思いは日が経つにつれ確実なものへとなっていった。オタマジャクシに再びコブができ、前足が生えたのである。
 その姿は、色と微妙な姿こそ違えど、いつも目にしているある生物に見える。尾がなくなって黒から緑へ変わったら……。
 徐々に膨らんでいく疑念。そしてある日、思い切って慧音に尋ねてみることにした。
「……ねぇ、慧音。ちょっと聞きたい事があるんだけど」
 チルノは水槽を眺めながら言った。水槽では、手足が生え若干数の減ったオタマジャクシ達が、慧音が追加した陸地や水の中を元気よく動き回っていた。その声色の真剣さから何かを感じ取った慧音は、「どうした?」と、真面目な表情で答えた。
「この子達ってさ、もしかして……カエルの仲間、なの?」
 予想通りの言葉に、慧音は間しばし間を空けてから、「そうだ」と答えた。
「補足すると、仲間ではなく、カエルそのものだ。やがて尾がなくなり色が変われば、立派なカエルになる。……お前の天敵のな」
「……最初から知ってたの?」
 慧音は何も答えず、黙ったままだった。それを肯定と受け取ったチルノは、じっと慧音を睨んでいたが、やがて教室を出て行った。
「おい、どこへ行く?」
 慧音が追いかけながら尋ねる。
「帰るのよ。あいつらの正体がカエルだと分かったら、なんか馬鹿らしくなっちゃって。あ、そうそう。あたいもう来ないから、勝手にしていいわよ」
 歩きながら「あーあ、つまんない」と、心底呆れたようにチルノは言い、そのまま出口へと向かう。その姿を黙って見ていた慧音だったが、チルノの身体が微妙に震えているのに気付くと、思わず引き止めていた。
「ちょっと待て」
「……なによ」
 自分でもどうして引き止めたのかわからない。しかし、このままチルノを帰してはダメだと心が訴えている。慧音は、その衝動に突き動かされるまま、言葉を紡いでいった。
「お前は、本当につまらなくなったのか? 裏切られたからやめるのか? ……確かに、事実を黙っていた事はすまなかった。だが、そもそもあいつらを親元から引き離し、興味本位から育てようと言ったのはお前だ。それに、エサを与える時や悪戯をしていた時の顔は、少なくとも私にはとても楽しそうに見えた」
「な、なに言って……」
 慧音の言葉に、チルノは動揺した。慧音は、そんなチルノを問い詰めるように、じっと見つめる。
「あ、あたいは……」
 視線に耐え切れず、俯いて黙り込むチルノ。その頭の中では、初めてオタマジャクシと遭遇した時から始まり、様々な思い出の場面が走馬灯のように駆け巡っていた。
「……もう一度聞く。お前は、本当にあいつらを見捨ててしまうのか? ただ嫌いだから、だまされたからというだけで」
 厳しい口調で問い詰める慧音に、チルノの身体が小刻みに震える。やがて、チルノは嗚咽を漏らした。
「うぅ……うぇ、ぐ……。ごめんなざい……」
それがチルノの答えだった。
 オタマジャクシ達はカエルの子どもだったが、欠かさず見守りながら育ててきたのは自分だ。確かにカエルは好きではないが、だからといって彼らに罪はない。頭ではわかっていても、どこかやりきれない思いが、自分を素直にさせてくれないのだ。
「お前は、本当は優しい子なんだ。この数週間で、私はそれをいやという程感じたよ」
 優しく語りかけながら、慧音はチルノを胸に抱きしめた。チルノは慧音の胸でしゃくり続けた。そんなチルノが泣き止むまで、慧音は優しく頭を撫で続けた。
「……落ち着いたか?」
 嗚咽が治まったのを見計らって、慧音は声をかけた。チルノは、それに言葉では答えなかったが、頷きながら慧音の服をギュッと掴むことで答えた。
「よし。じゃあ、戻ろう」
「……うん」
 顔を伏せたままで慧音に手を引かれながら、二人は教室へと戻った。水槽には先程までと変わらず、オタマジャクシ達が元気に動いていた。
「……ごめんね」
謝罪の言葉を述べるチルノを、慧音は優しく微笑みながら見つめていた。
その後、瞬く間にオタマジャクシ達の尾はなくなり、色が変わり始めた。さすがに嫌そうな表情を見せるチルノだったが、それでも文句は言わずに様子を見守り、世話を続けた。
そんなある日、慧音はチルノにある提案をした。カエルへと成長した今、これからも彼らの面倒を見るよりは、元の場所に放してやるべきだと。
チルノはこの提案に頷いた。そして、別れの日が訪れる。
 湖の畔に立つ二人。慧音の手には、カエル達の入った水槽があった。
「じゃあ、放つぞ」
 そう言って慧音は、湖に歩み寄る。そして、水槽をゆっくりと傾けて――
「……待って」
「どうした?」
「できれば……あたいの手でやらせて」
 その申し出に少し驚いたが、慧音は「そうか」と呟くと、その場に水槽を置いて離れた。
 チルノは水槽に近づき、カエル達を見つめる。あんなに嫌いだったカエル達だったが、不思議と今は、愛おしい気持ちで胸がいっぱいだった。
 おもむろに水槽に手をいれ、一匹一匹を丁寧に扱いながら、湖へと放す。カエル達は広い湖を気に入ったようで、すぐに泳いで遠ざかっていく。やがて、最後の一匹となり、
「……元気でね」
 小さくそう呟いて、カエルを放した。カエルは、チルノにまったく関心がないようにどんどんと泳いで行く。と――
「あ……」
 見間違いだろうか、カエルが一瞬こちらを振り向いたような気がした。もちろんそんなことはないだろうが、チルノは何故かそうだと確信を持っていた。
 最後の一匹の姿が見えなくなると、いつの間にか隣には慧音が立っていた。
「また、きっと逢えるさ。お前が、今日の日を忘れなければな。じゃあ、私も帰る。たまにはまた、寺子屋へ遊びに来るといい」
 慧音が去ってからも、チルノは湖を、日が暮れるまで眺め続けるのだった。自分で育てた『子ども達』のことを、いつまでも想い続けながら――。
 
〈EPILOGE〉
 
「もー、チルノちゃんたら人の話聞いてる?」
 大妖精が、抗議の声を上げる。
 カエルと別れた日から早くも数週間が経った。あれからのチルノは相変わらず、といった感じで過ごしていた。しかし、以前とは決定的に変化している部分があった。それは、
「もう、怒った。そんなチルノちゃんにはコレよ」
 大妖精がゴソゴソと動き、チルノの目の前で手の平を開く。その中には、一匹のカエルの姿があった。
「ふふーん。これで反省し――」
「……やめなよ。かわいそうでしょ?」
 そう言って大妖精の手からカエルをひったくると、湖へと放してやった。その様子を、大妖精は目を白黒させて見ていた。
「どうしたの? 大ちゃん」
「チルノちゃん……カエル、なんとも思わないの?」
「別に。ただ、あたいも大人になったってだけよ」
 そう言って、さっさと先に行ってしまう。
「あ、待ってよー。ねぇねぇ、どうして平気になったの? 何があったの? 教えてよー」
「うるさいわね、どうだっていいで……」
 突然、チルノの動きが止まる。視線は湖を見つめている。
「どうしたの? チルノちゃん」
 つられて、大妖精もチルノの視線の先を見る。しかし、特に何も見当たらない。視線を戻すと、チルノは何故か微笑んでいた。
「チルノ、ちゃん?」
「……ううん、なんでもない。さ、行こ」
「あ、ちょっと待ってよー」
 チルノの見ていた場所から少し離れた藪の中。そこには、去っていくチルノ達の後ろ姿を見つめる、数匹のカエルの姿があったことは誰も知らない。
 
 その日、幻想郷中に一枚の号外が配られた。『悪戯妖精、初めての子育て』という見出しのその記事は、当人の知らない間で、幻想郷中の人々の心を温めたという。