魔理沙と~パチュ編

それは、そう。今思えばどうしてそんなことをしたのだろうかと思える行動だった。

図書館の一角で、私――パチュリー・ノーレッジは自らの身体を抱いて、いまだに止まらない震えを抑えていた。小悪魔が気を利かせて紅茶を淹れてきてくれたので「ありがとう」とお礼を言い、一口飲んでほぅっ、と息を吐く。紅茶のお陰で、さっきよりはだいぶ落ち着いてきた気がした。けれど、今でも手にはじっとりとした汗が残っている。
私はほんの十分程前の行動を思い返した。

それは珍しく、私にとって天敵である霧雨魔理沙が、素直に図書館で本を読んでいったことから始まった。
いつもなら聞く耳を持たず、気の向くままにやってきては本を奪っていく魔理沙なのだが、その日はどういうわけか、いつも通りの神出鬼没さで図書館に現われたと思ったら、私に軽く挨拶をして向かいの席に腰掛け、持っていた本を読み始めたのだ。
困惑しながら理由を尋ねると、「以前咲夜に叱られたのを思い出した、それに今日は用事もないしたまにはいいかと思って」と返ってきた。
私は「そう」と短く答え、戸惑う心を読まれないように努めて平静を装った。でも内心は気になりっぱなしで、事ある毎に魔理沙の様子を窺っていた。
魔理沙に特に変わった様子はなかった、と思う。というより、読書をする魔理沙は普段では見られない、とても真剣な表情で、彼女の新しい一面を見れて新鮮だった。奪われていった本も、私のところでほこりをかぶるよりも、案外大切にされているのかもしれないというありえないことを思ってしまった程だ。でも、やっぱり本は返して欲しいけれど。
常に魔理沙に気を張っていたせいで、私はおかしくなってしまったのかもしれない。否、絶対そうだ。そうでなければ、その後の私の行動の説明がつかない。

窓から差し込む光が弱くなり、群青の色が空を支配した頃、魔理沙は伸びをして帰ると言いだした。

「……ふぅ、そろそろ帰るかな。長居して悪かったな。ま、お前にとっては本を借りられるよりはましか。お茶、ごちそう様だぜ」
「――魔理沙」

私は咄嗟に、魔理沙を呼びとめ、困惑する彼女に思いがけない言葉を口走っていた。

「な、なんだ? 本なら盗ってないぜ?」
「あの……こ、今度、外の空気を吸いに行こうと思うから、付き合って……くれないかしら?」
「……別にいいぜ? で、いつがいい?」

私の突拍子もない提案を、魔理沙は割とすぐに受けてくれた。日取りと待ち合わせ場所などを簡単に決め、改めて見送る。奪っていった本を返すようにと釘を刺して。
去り際、魔理沙は「お前の方から誘ってくるなんて珍しいこともあるもんだな、事実は小説より奇なり、だぜ」と言っていたが、確かにその通りだ。

回想を終えた私は、紅茶のカップを手に取り、自問した。
どうしてあんなことを言ったのだろう? 魔理沙が気になったから……じゃない。確かに、以前から魔理沙のことは他の誰よりも気になっていた。けれど今日のことは、変に気を張ってただでさえ弱い心身が疲弊していたせいだ。
ならこんなにも心が落ち着かないのは何故なのか? 魔理沙と出かけられるから?
私は魔理沙を……どう思っている?

「パチュリー様、なんだか嬉しそうですね」
「え?」

いつの間にか傍に立っていた小悪魔が不意にそんなことを言った。私が、嬉しそう?

「……そんなことあるわけないでしょ。いいからこの本、片付けなさい」
「ふふっ、素直じゃないですね」

そう言って小悪魔は魔理沙の読んでいた本を抱え、書棚の方へと消えていった。

(小悪魔にまであんなこと言われるなんて……しっかりしないと駄目ね)

私は気を引き締めると、読みかけていた本――魔理沙のせいでほとんど読み進められなかったもの――を読むことにした。
でも、私の心のどこかでは小悪魔の言うとおり、無意識的に約束の日を楽しみに思っていたのかもしれない。だってその日は、本を読んでも内容が全く頭に入ってこなかったのだから。

 

時間という概念は、私にとってはあまり関係がないものだと思っていた。常に一定で、変わることなく流れるもの。今が何時だろうと私には関係がないものだと。
でも、この数日間はふと思っては時計を気にし、落ち着きがなかった。短かったような、長く待ち遠しかったとさえ感じるような変な気持ち。今日は日曜日。約束の日だ。
私は、夕べから一睡もしていなかった。遠足を楽しみにする人の子どもが、前日になかなか寝付けないというのを咲夜から聞いたことがあったけど、まさか自分が似たような状況になるなんて思いもしなかった。
眠気でぼーっとしながら、魔理沙を待つ。待ち合わせは紅魔館の玄関前。門番の美鈴には話をしてあるから、魔理沙は普通に現われる……はずだ。
しかし、今私が気にしていることはそこではない。睡魔との格闘でただでさえ大変な私の隣に、面倒な顔ぶれがいるのだ。

「酷い顔してるわね」

紅魔館の主であり、私と旧知の間柄であるレミリア・スカーレット。傍らには、日傘を持った従者の十六夜咲夜が控えている。更に言えば、何故か楽しそうな小悪魔までもが咲夜の脇に立っていた。
皆、私の見送りの為……というのは建前で、私が魔理沙と出かけることに対する興味本位からいるようだ。外出といっても、たかだか湖の畔を散歩する程度なんだけど。

「あ、来たみたいですよ」

魔理沙の姿を一番に見つけた小悪魔が声をあげる。門の方を見ると、ちょうど地面に降り立ち、美鈴と会話する魔理沙の姿があった。しかしなぜか、弾幕バトルが始まった。美鈴にはそのまま通すように言ったはずなのに。
暫くして、お得意の魔砲で美鈴を吹き飛ばした魔理沙が門を通過してきた。

「お? 総出でお出迎えとは、私も人気者だな」

魔理沙は普段と変わらない表情で私たちの元へやってきた。

「別にあなたの為じゃないんだけどね。ところで、門のところで騒いでいたようだけど、どうしてかしら? 返答次第では、パチュリー様には悪いけど、あなたにはナイフの的になってもらうわよ?」

笑顔のまま、有無を言わせぬ迫力を持って咲夜が尋ねた。確かに、おおかたの予想はつくが私も理由が気になる。

「ん? 何って、仕事しない門番を挑発して仕事をさせただけだぜ? まぁ、軽くいなしてやったがな」

その予想どおりの答えにはさすがの咲夜も呆れたようで、黙ってナイフをしまうと、「美鈴の様子を見てきます」とレミリアに告げて門の方へ駆けて行った。

「……さて、早速出かけようぜ」

咲夜を見送った魔理沙は、私に向き直って言った。

「え、えぇ。じゃあ、行ってくるわね」

私も、できるだけ自然な感じで振舞う。うまく振舞えたかはわからないけれど。

「いってらっしゃい。気をつけてね」
「お気をつけてー」

人数の減った見送りはそれぞれの言葉で送り出してくれた。どこか表情にいやらしい(?)ものを感じたのは、私の思い過ごしだろうか?
門を通過する時、介抱されている美鈴と咲夜が怪しい雰囲気になっていた。私は邪魔しないよう心がけたのだが、魔理沙が馬に蹴られるような茶々をいれて咲夜にナイフを投げられた。魔理沙らしいけど、少しは空気を読んであげたらどうなのかと思う。

湖の畔を、二人で歩く。ほうきに乗って飛んだ方が楽だと魔理沙は言うが、それじゃあ散歩にならないじゃない。
外は気持ちがよかった。
魔理沙たちと会ってから、私は図書館から外に出るようになった。始めは、魔理沙に連れられて出たのだけれど。
図書館の独特の雰囲気や、本の匂いなどもいいが、木々の囁きや身体を撫でる心地よい風を感じるのも悪くないと思う。

「さっきから気になってたんだが、それはなんだ?」

魔理沙が私の手を見ながら尋ねる。私の手には、バスケットがかかっていた。中には、咲夜の作ってくれたサンドウィッチとティーセット、それと以前私と魔理沙がそれぞれ読みかけにしていた本が入っている。休憩の時に広げようと思っていたものだ。
それを説明すると、魔理沙は「じゃあ早速……」と言って私からバスケットを奪い、ちょうどいい感じの木の元へと走っていきシートを広げ始めた。
あまりの行動の速さに唖然とする私も、仕方なく魔理沙の元へと向かう。まだ紅魔館からはそんなに離れていないし、もう少しだけ一緒に歩いていたかったのになぁ……。
私の到着を待たずに、魔理沙は既にサンドウィッチをほお張っていた。「うまいぞ?」と言って私にも勧めてくるが、元々それは私の持ってきたものだし、咲夜が作ったものなら当然のことだと思ったけど、バスケットを奪ったことといい、魔理沙らしい行動で思わず苦笑してしまった。
行儀が悪いが、二人で会話をしながらサンドウィッチをほお張る。
持ってきた全てのサンドウィッチをたいらげ、満足した様子の魔理沙は本に手を伸ばした。黙々と読み耽ることに集中し、声を掛けても無駄なようなので、私も本を読むことにした。
しかし、いざ読み始めたのはいいけれど、暫くすると私に再び睡魔が襲ってきた。お腹も満たされ心身共にリラックスモードの私は、どうにか耐えようと抵抗を試みる。けれど、その抵抗もむなしく、夢の世界へと私の意識は落ちていった。

「ん……あれ?」

ぼんやりとしながらも意識を取り戻した私は、自分が本を読みながら寝てしまったことを思い出す。しかし、寝てしまう前とは何かが違ったが。なにより頭の下に、木の幹とは違う柔らかな感触が……。

「お、眠り姫がやっと目覚めたか」

魔理沙の声が上から降り掛かる。……上?
気が付くと、魔理沙が私の顔を覗き込むようにして見ていた。私の意識は驚きと共にはっきりと覚醒した。顔が近くて頬が上気してしまうが今はそんなことが問題ではない。私の頭は、なぜか魔理沙の膝の上にあったのだ。

「~~~っ!」

慌てて起き上がる。どうして? 何で? 魔理沙の膝の上?
状況が読めなくて「ど、どうして?」とパニックになる私に、魔理沙は至って普通に説明してくれた。

「どうって、うとうとし始めたお前が私の肩に寄りかかってきたんじゃないか……って、気持ちよく寝てたみたいだしわからんか。私は別に気にしてなかったんだが、お前の頭がずれるから、仕方なく私の膝を貸してやったんだぜ? ま、お前にはいつも本を借りてるからこれでおあいこだな」

借りてるんじゃなくて奪っているんでしょ、それにおあいこにするには私の分が圧倒的に削られてるじゃない、と思ったが、そんなことを暢気に考えている場合ではない。
私は魔理沙の膝枕で寝ていた……そうはっきりと認識すると、凄く恥ずかしかった。というか、寝顔とかも見られていた可能性がある。魔理沙は何も言わなかったけれど……。
それ以上考えると顔からアグニシャイン……もとい火がでてしまいそうなので、魔法式などを考えて無理矢理気持ちを落ち着かせた。

「さて……そろそろ帰ろうぜ? もういい時間だ」

魔理沙の言葉で気がついたが、空は茜色に染まっていた。どうやら私は結構な時間眠っていたらしい。
その間魔理沙は私のせいで動けなかったことを考えると、物凄く申し訳なかった。

「ごめんなさい……」
「ん? いやいや、別にお前を責めてる訳じゃないぜ? 私もついさっきまでは眠っていたしな」

そう言って魔理沙は笑ったけれど、私の心は落ち込んだままだった。

帰り支度を整えて、元来た道を引き返す。結局、湖の周りどころか半分にも満たない程度しか歩けなかった。
もうすぐ、紅魔館の門が迫る。そこで、お別れ。
私は自らの失態を呪った。ラッキー(?)な出来事こそあったけれど、本当はもっと楽しくなる予定で、魔理沙に迷惑をかけるはずじゃなかったのに。
門にたどり着くと、ちょうど館から出てくるレミリアや咲夜の姿があった。美鈴の姿もあることから彼女が呼びに行ったことが窺える。

「あー、私は出迎えはいいや。中国や咲夜に会うと面倒なことになるかもしれんしな」

魔理沙はそう言って、踵を返そうとした。

「――魔理沙」

ホウキに跨ったところで呼び止める。魔理沙は不思議な表情で見返してきた。

「今日は、ありがとう……それと、ごめんなさい」

心の底から頭を下げる。本当に、今日は失敗だった。
そんな私に、魔理沙は意外な言葉を口にした。

「なんだ、寝たことだったら別に気にしてないぜ。私にだって原因はあるしな。まぁ、失敗なんて誰にだってあることじゃないか。私としてはお前のことをだいぶ知ることができたし寝顔も見れたしで割とおもしろかったぞ?」

魔理沙の言葉は、私の気持ちをほぐしてくれた。
でもやっぱり寝顔は見られていたのかと思うと頬が上気する。

「じゃあ、今日は楽しかったぜ。またな」

そう言って、魔理沙は今度こそ藍と茜の交じり合った空に向かって飛び立っていった。
私はその背中を、見えなくなるまで見つめていた。

「何かいいことがあったみたいね」

隣に立ったレミリアが、私の顔を見て言った。

「別に……どうしてそんなこと言うのかしら?」
「図星だった? 頬が緩んでるわよ」
「……別に」
「素直じゃないですねー」

小悪魔までもが加勢する。その後も外野がなんだかんだと言ってくるが無視して館に戻った。
でも、レミリアの言葉じゃないけども、今日は私にとってとてもいい一日だった。それだけは、認めてもいいと思えた。