永遠に続くと思われていた日々が、呆気なく終わってしまったのはいつのことだったか――。
「輝夜ぁぁぁぁっ!」
まぁるく綺麗な月が輝く夜の竹林に、怒号が響き渡る。
「素敵よ、妹紅。それでこそ、殺しがいがあるってものだわ!」
それを撥ね返すくらいの気が、竹林を包む。
蓬莱山輝夜と藤原妹紅は、今夜もまた、互いの意地を懸けて戦いを繰り広げていた。
「しねっ!」
妹紅の放つ炎が輝夜を襲う。しかし、炎は輝夜に触れる直前で掻き消えてしまった。
「なっ!?」
「あらあら、残念。こんなこともあろうかと、永琳に頼んでおいたの」
余裕の笑みを浮かべ、輝夜は袖からちらりと符を覗かせた。
「さぁ、今度はこちらの番よ」
手を挙げる輝夜の周囲に弾幕が現れる。それらは輝夜が手を振り下ろすと一斉に妹紅へと襲い掛かった。
「くっ」
身を捻りつつ妹紅はギリギリのところで弾幕をかわしていく。しかし、
「うぐっ、あぁぁぁぁ!」
一つを受けたことでリズムが崩れ、残りを全て喰らってしまう。それでも途切れそうになる意識を保ちその場に留まる。
「無様ね」
妹紅の失態を嘲笑って輝夜が言う。すでにその体勢は第二波の準備に取り掛かっている。
先刻喰らった弾幕で全身からは血が溢れ、身体中が悲鳴を挙げている。
死なない身ではあっても、今の状況は確実に妹紅には不利だ。
「ちっ」
妹紅は、身を翻して竹林の中へと姿をくらました。
「あらら、かくれんぼかしら? いいわ。夜は長いもの、付き合ってあげる」
輝夜は袖で口元を隠すように笑うと、のんびりとした口調で数を数え始めた。
妹紅は藪の中でゆっくりと深呼吸をしていた。
怪我の具合も気にはなるが、今は何より落ち着くことが先決だ。
(感情に流されるままじゃ駄目だって覆面の奴も言ってたしな、明鏡止水明鏡止水っと)
慧音の家で見た本(生徒からの没収品)の内容を思い出し、目を閉じて集中し、心を研ぎ澄ませていく。
「もうーいーかい?」
輝夜の間延びした声が竹林の中に響き渡る。
その声を聞いて目を開いた妹紅はそこで、自分の身体のある異変に気が付いた。
(傷が……治らない?)
すぐに治るものでもないが、暫く時間を置けば普段は治り始める傷が、今日に限っては一向に塞がる気配がなかった。
「どういうこと――」
「妹紅見ーつけた」
背後に輝夜が立っていた。すぐ近くまで来ていたことに気が付かない程動揺していたようだ。
「見つかった人は罰としてー、しんぢゃえ♪」
輝夜の弾幕が妹紅を襲う。
「ぐあぁぁぁぁぁっ!」
直撃を喰らった妹紅の身体が吹き飛ぶ。意識が薄れてきた。それも、普段のようなものではなく、気だるくいつもよりも重い感じのもの。
(私は……死ぬ、のか……? ……慧音)
「これで、トドメ!」
うつ伏せで動けない妹紅に容赦なく弾幕の雨が降りしきる。
弾幕の影響で辺りに舞った土煙が晴れると、そこには全身ボロボロの妹紅が横たわっていた。
「完勝完勝っと♪ 妹紅、最近弱くなったんじゃないかしら? やっぱり、あのハクタクのせいねきっと」
妹紅を見下ろしながら、輝夜は満面の笑みを浮かべていた。しかし、声を掛けるも、妹紅はいくら待っても反応しなかった。
「……なーんだ、気絶しちゃったのね。まぁいっか♪」
輝夜は余裕しゃくしゃくで妹紅の傍へと近寄っていった。妹紅が気絶した際の表情を眺めることが、最近勝ち続けている輝夜の楽しみでもあった。
「さーて、お顔拝見っと」
行儀悪く足で妹紅の身体をひっくり返す。妹紅の顔は、身体の傷の割りには目立ったものはなく、綺麗なものだった。
「……なんだか今日は酷い負け方したくせに安らかね、本当に死んじゃったみたい。……腹立たしいから起こしちゃえ」
ゲシゲシと妹紅の身体を蹴飛ばす。しかし、妹紅の身体はピクリとも動かないどころか表情一つ変えなかった。
「……え?」
そこで輝夜は違和感に気付いた。
妹紅の傷が癒えていないことに。
彼女が息をしていないことに。
「嘘でしょ……? そんなはず……」
輝夜の停止した思考が、徐々に妹紅の死を理解していく。
――永遠に続くかと思われた日々は、呆気なく終わりを迎えた。
輝夜は無意識のうちに永遠亭の玄関の前に来ていた。いつどう帰ってきたかは彼女は覚えていない。輝夜にとって今最も重要なことは、憎むべき相手がいなくなってしまったことだ。
フラフラとした足取りで中へとあがり、自分の部屋を目指して歩く。
道中、ブツブツと何かを呟くが、聞き取れないくらいの声量であるため、呪詛のを唱えているようにも見える。
「あら、輝夜。おかえりな――」
途中、永琳たちのいる部屋を通り過ぎ、声を掛けられるも反応はなかった。
「……なんか、姫様おかしくなかったですか?」
同じく部屋にいたてゐが永琳に尋ねる。
「……そうね。疲れてるのかもしれないけど、ちょっと心配だから、見てくるわ」
永琳は立ち上がると、輝夜の後を追って彼女の部屋へ向かった。
「輝夜、起きてる?」
ノックをしてから声を掛けるが、返事はない。
「入るわよ」
断りを入れてから戸を開ける。部屋は窓から差し込む明かりだけで、ほとんど真っ暗な状態だった。その部屋の隅に何故か、輝夜は膝を抱えて座っていた。
「……輝夜?」
輝夜のおかしな様子に気付いた永琳が彼女の傍に近寄る。
輝夜は相変わらず、何かをうわ言の様に呟いていた。
永琳は、その言葉を何とか聞き取ろうと耳を傾ける。
「……も・こ・う。藤原妹紅がどうかしたの?」
永琳の言葉に輝夜がピクリと反応する。ゆっくりと顔を向ける。月明かりに照らされたその顔は、疲れきったような、やつれたようなひどいものだった。
そんな彼女が、ゆっくりと口を開いた。
「――妹紅は、死んだわ。私が、殺した」
再び彼女は顔を戻すと、俯き、嗚咽を漏らし始めた。
「死んだのよ、妹紅は死んだの。私がこの手で殺して、死んだ。妹紅が、死んだ、殺した、私が、妹紅が」
そして輝夜は、狂ったように慟哭を始めた。
「か、輝夜、どういう――」
「蓬莱山輝夜ぁぁぁぁぁぁ!」
屋敷の外から、凄まじい怒鳴り声が聞こえてきた。
「今度は何?」
永琳の疑問に答えるように、鈴仙の泣きそうな声が聞こえてくる。
「ししょぉぉぉぉ~」
永琳は輝夜を一瞥してから、廊下に出て鈴仙を呼ぶ。
「鈴仙、何の騒ぎかしら?」
「あ、師匠~……それが、例のハクタクが現れて、姫を出せって……」
「……分かったわ。私が出るから、鈴仙は輝夜を頼むわね」
そう言い残して、永琳は玄関へと向かった。
「……どう言ったご用件かしら? わざわざあなたから尋ねてくるなんて」
殺気をこれでもかと放っている慧音に向かって、永琳は努めて冷静に尋ねた。
「お前に用はない。輝夜を出してもらおうか」
覚醒してハクタクとなった慧音は、尚も輝夜を要求した。
お互いに黙り込み、睨み合う両者。その一触即発の状況を終わらせたのは意外にも、永琳の方だった。
「……いいわ、会わせてあげる。輝夜のあの言葉とあなたの怒りようで事態はつかめたわ。それなら、あなたと輝夜を会わすのはこちらとしても都合がいいしね」
あっさりと折れて背中を向けた永琳に、慧音は驚いた。
「……どうしたの? 罠なんてないから、安心してもいいわよ」
そう言って微笑むと、永琳はさっさと屋敷の中へと入っていってしまった。
慧音は少し考えてから、永琳の後を追った。
長い廊下を経て、輝夜の部屋にたどり着く。その間、慧音の殺気は玄関で一度は弱まったものの、目的の場所が近づく毎に強まっていった。
「鈴仙、輝夜、入るわよ」
ノックもなしに戸を開ける。そこには、未だ泣き続けている輝夜と、どうしていいかわからずオロオロしている鈴仙がいた。
「あ、ししょ……ひっ!」
永琳を見て安堵したのも束の間、その背後に立つ慧音の姿を見て、更にパニックになる鈴仙。
そんな鈴仙の様子など気にせずに、永琳と慧音は部屋の中へと入った。
「……どうなっているんだ?」
輝夜を見て慧音は開口一番そう言った。先程までの殺気はやや薄れ、今は困惑しているようだ。
「そうね、とりあえず説明させてもらうし、こちらとしても色々としてもらうわ。鈴仙」
「は、はひっ!」
「ご苦労様。ひとまず、外へ行ってもらえるかしら」
「わ、分かりました」
助かったとばかりに鈴仙は表情を明るくすると、すぐにその場を去っていった。
そして部屋には、嗚咽を漏らす輝夜と立ちすくむ永琳、慧音だけが残された。
「……さて、早速だけど単刀直入にいくわ。藤原妹紅は死んだのね?」
「……ああ、そうだ」
恨めしそうに慧音が答える。
「そう……だからあなたがここにいて、輝夜がこんな状態なのね。ありがとう、これで全てがわかったわ」
「どういうことだ?」
一人頷く永琳に、慧音が低い声のまま尋ねる。
「そうね……簡単に説明すると、輝夜はあなたと同じ想いなのよ」
「なん……だと……? そんな馬鹿な! だったらどうして――」
「どうして殺し合うか、でしょ?」
慧音の言葉を引き取って永琳が呟く。慧音は黙ったまま頷いた。
「あなたが思っていた以上に、二人の関係は複雑だったのよ。永い時間拘束された二人はお互いを憎しみ、殺し合うことで生きる意味・目的を作った。けれど、今その関係が崩れてしまった。今の輝夜は、もぬけの殻同然ってとこね」
「……」
「憎しみと愛情は表裏一体だって知ってるかしら? つまり、輝夜は藤原妹紅のことを、殺したいと思うと同時に愛してもいたのよ、あなたと同じようにね」
「なっ……!」
慧音は言葉を失った。
(輝夜が妹紅を好きだっただと? そんな馬鹿な……!)
「愛の形はそれぞれあるものよ。だから、藤原妹紅が死んでしまった時点で、輝夜も死んだも同然なの」
「……」
慧音は永琳の言葉を反芻しながら深く考えた。目の前でうずくまる少女は確かに殺したい程憎い相手だ。しかし、今の彼女を殺してどうなるか。どのみち妹紅はもう帰ってこない。だが、しかし――。
「……ふぅ。邪魔したな」
慧音は、激しい葛藤の末、ため息を一つ吐いて気を静めると、踵を返して部屋を後にした。
「――待って!」
永琳が慧音の後を追ってきた。
「なんだ? まだ何かあるのか?」
気だるげに慧音は振り返った。
「ええ、とても大事なことが一つ。あなたにしかできないことよ」
「?」
「――輝夜を、救って欲しいの」
「……なに?」
慧音は耳を疑った。自分に、にっくき相手を救えだと?
頭に血が上ってきた。もう、相手なんてしていられるか。
慧音は無視して再び歩き始めた。
「虫がいいことは分かってるの! でも、あなたしかいないのよ、お願い! これで、私たちとあなたたちの関係は最後にするから!」
永琳は、慧音の前に回りこむと、その場で土下座をした。
その行為には、流石の慧音も面食らい、立ち止まってしまった。陰から覗いていた鈴仙を始めとしたイナバたちも、この状況には大いに困惑した。
「お願い、この通りよ。私にも輝夜が、元通りとはいかないまでも、私には輝夜が必要なの……お願い……っ」
普段からは想像も出来ないくらい、なりふり構わず懇願する永琳。彼女もまた、嗚咽を漏らしながら必死に頭を下げ続けた。
「…………分かった。だが、これっきりだ。金輪際私の前に姿を見せるな。誰一人だ」
「ありがとう……ありがとう……っ」
永琳が落ち着いたところで、再び二人は輝夜の部屋へと戻った。輝夜は泣き疲れたのか、膝を丸めて横たわりながら寝息をたてていた。
「……おとなしくしていれば、可愛いものだな」
ポツリと慧音が呟いた言葉は永琳には聞こえなかった。
(妹紅……)
慧音は、妹紅を想いつつ、輝夜の傍で片膝をつくと、永琳に言われた通り、彼女の記憶を造り替えた。
「見て見て永琳、上手くできたでしょ?」
時間の概念から切り離された屋敷、永遠亭。藤原妹紅の件からどれくらい経ったのか、誰もが当時の記憶が霞みつつある頃。無邪気な声が響き渡る。
「どれどれ……まぁ凄いじゃない、輝夜」
蓬莱山輝夜と八意永琳は昔と変わらず、退屈ながら、平和に暮らしていた。
輝夜は、慧音の能力で藤原妹紅が存在しないという歴史を送っていた。
そして今、永琳に趣味でも持ったらどうかと言われ、永く取り組んでいる料理の腕前を披露していた。
調理場の机の上には、豪華な料理が所狭しと並んでいた。
「輝夜……いつも言ってるけど、作るのが楽しいのはわかるんだけど、量を考えて作りなさい」
「えー、いいじゃない。イナバたちだっているんだし。このくらい大丈夫よ」
「まだ昨日の夜から今朝にかけての残りものがあるんだけど……」
はぁ、と一つため息を吐く。
料理を始めてからというもの、輝夜は以前より――記憶が造り替えられる以前――行動的になり、度々調理場を占拠してはその腕前を磨いていった。はじめこそ自分の作る毒薬以上だった料理も、今では一流並となり、連日、永遠亭の台所を預かっていた。
「まぁまぁ、次はちゃんと守るから。ね?」
「その言葉何回目かしら……」
「ふぅ、疲れたーっと。ふふっ、でも何かに打ち込むってのは楽しいものね。あの子も、今の私を見たら――あの子?」
後片付けをしていた輝夜の動きが止まる。
「輝夜……?」
「あの子……あの子……誰だったかしら、思い出せない……とても大切で、とても愛おしくて…………あれ?」
輝夜の頬を、唐突に涙が伝う。次から次へと溢れては、頬を濡らしていった。
「あれ、あれれ? 永琳、私何か変になっちゃったんだけど」
「! 輝夜!」
永琳は輝夜の元へと駆け寄り抱きしめる。
「ねぇ、永琳。思い出せないの……誰だったっけ? 私の、大切な人」
永琳は何も言わずに、ただただ輝夜を抱きしめることしかできなかった。
輝夜の涙はそれでも止まらなかったという。